菜の花
【菜の花の花言葉】
快活な愛・小さな幸せ・元気いっぱい
お天気の良い日の休日。軽装で散歩に出掛けます。歩くスタイルは少し大股で早歩きで歩きます。
すると3~5分ほど歩くと体が暖かくなりじんわりと汗をかきます。
普段、汗をかく機会が少ない無いため時々散歩をして汗をかくと、なぜか清々しい気持ちになり気分転換になります。
平日は分刻みで慌ただしくあっちへ行ったり、こっちへ行ったりしています。
散歩をすることで、自分の気持ちをリセットすることができます。
散歩の時は音楽などは聴かず風の音、鳥の声を音楽の代わりにして散歩をします。自然と自分が一体になるように、何も考えず頭の中は完全に無の状態で歩きます。
何も考えないことがストレス発散になるのです。ただただ歩くことだけに集中します。大体10~15分ほと歩くと体に軽い疲労感を感じます。
そこからは歩くスピードを落として回りの景色を楽しみながらゆっくり歩きます。その時は色々なことを考えても良いし何も考えず、ただただ景色を楽しむだけでも良いです。
歩き始めから歩き終えるまでは、全部合わせると約30分ぐらいです。歩き終えると、とてもスッキリした気持ちになります。
改めて無になる時間が必要なんだと感じました。
散歩で目にした菜の花の黄色い絨毯が、心の栄養になりました。
あの人になりたい
あの人になりたい
あなたは、何になりたいですか?
子供の頃、
将来は何になりたいですか?などの話をよく聞かれた。
私の子供時代は、男の子ならヒーローものや戦隊もの、アニメや漫画の主人公だった。
女の子なら、ケーキ屋さんやお花屋さん、お姫様などだった。
小学生になれば、
男の子は野球選手やサッカー選手、会社の社長、お医者さん。
女の子なら食べ物屋さんや幼稚園/保育園の先生、看護師さんなどだった。
大人になれば社長や芸能人に憧れるが、現実的には身近な仕事のできる上司や同僚に憧れた。
年を重ねるうちに現実と自分のギャップで悩み、日々悶々とする。それでももがきながら前なの進み、自分の生活や考え方に共感できる人達と出会う。
今の自分の生活を変えようと色々調べてみる。色々な人に会い話をして、色々な話を聞く。自分の今に満足はしていない。
常に「今のままではいけない。」と考えてしまう。自分で勇気を出して行動する。
やりたいことは多いけど時間が足りない。
しかし、何だかんだ考えても結局は、自分次第だ。
時間が無い中、時間をこじ開けて前に進む。
自分の自身が憧れの人になるんだ。
寝ること、睡眠。
朝、通勤電車に乗っていると必ず何処かからイビキが聞こえる。そのイビキはかなり大きな音で車内に響きわたっている。
この大きなイビキをかいている人は、いったい何時寝て、何時起きたのだろうか?いつも何時間寝ているのだろうか?体の何処を悪くしていないか?など心配してしまう。
大体の方は中高年でスーツ姿にネクタイを締めているので、何処かに勤めている会社員の方だと思う。時々、若い方もいるのでビックリする。
人は眠らないと生きていけない。
人は、なぜ眠らないといけないのか。
人は生きている内の3分の1を睡眠時間に費やすると言われています。そして色々な研究が長年行われていますが、未だに睡眠に関しては解明されていないことばかりです。
睡眠は体の疲れを取り心身の回復をして脳を休めて記憶の整理をしていると言われています。
そして、人間には体内時計があり、その体内時計は24時間の周期で体を整えています。睡眠もその体内時計と大きく関係しています。
よく睡眠時間は7~8時間とると良いなどと言われていますが必ずしも決められた時間では無いそうです。
あるテレビ番組で睡眠について放送していました。「寝る前に笑顔を作るとぐっすり眠ることができる」というのです。
実験を行った結果。グッスリ眠ることが出来たと話していました。グッスリ眠れたと言うことは質の良い睡眠がとれたと言うことです。
こんな経験をしたことはありませんか?
寝る前に怖い映画を観たらうなされること。
また楽しいことがあった日は、楽しい夢を見ること。
きっと眠る前の体の準備や直前の出来事や記憶が睡眠に影響するのではないでしょうか。
私が子供のころは、私が寝るまで母親が添い寝をしてくれた。また父親が私が寝る前に面白い話を聞かせてくれたことが記憶に残っています。
それは安心した心地よい気持ちのまま眠ることで良い睡眠がとれるおおまじないみたいなものでした。
学生時代であれば、友達が自宅に泊まりに来てワイワイお喋りしながら眠ること。
大人になれば、恋人同士や夫婦で一緒に眠ること、全て良い睡眠をとるためには、理にかなったことなのかもしれません。
笑顔の人は元気です。
笑顔の人がいると周りの人も元気になります。
これからは良い睡眠をとるために、
眠る前は笑顔をつくろう。
親友、そして親。
親友、そして親
私は今、東京に住んでいるが久しぶりに実家に帰った。
実家には電車で帰る事にして寄り道せずに帰る予定でいたが、電車が発車する前に親友の顔が浮かび電車を降りてホームから親友に電話をしてみた、すると親友は2コールで電話に出た。
約1年半ぶりの電話であったが挨拶もそこそこに親友と、これから会う約束をした。親友は急な訪問者の私を快く受け入れてくれた。
最寄りの駅から親友宅まで歩いて向かった。久しぶりに降りた駅は工事をしており都心に繋がる線路や接続のための駅を作っていた。
駅周辺は新しいお店がチラホラ出来ており、今までの何も無かった所に新築の家がずらりと並んでいた。
親友宅は駅から歩いて約15分ぐらい、家の前に着いて親友に再び電話を入れる。直ぐに電話に出ると親友は窓から顔を出す。
親友は家から出て来ると「何が飲む?」と一言。
家の目の前にある自動販売機で缶コーヒーを2使い缶コーヒーで久しぶりの再会に乾杯する。
コーヒーを飲み終えた後に、
親友より「何か食べ行く?」と一言。
親友は運転席に乗り込み、私は車の助手席に乗ると車を走らせる。特にどの店に行くとも決めずに数分後には馴染みのファミレスに着いた。
ここのファミレスは何処にでもあるチェーン店のファミレスであるが、このファミレスは私達が学生の頃、夜集まっては朝まで自分達の将来の事や、くだらない話を何時間も話した何十年も通い続けているファミレスだ。
テーブルに着くなり親友より「○○さん、まだ働いているょ。」私は思わず「えぇ!!!」と声を出してしまった。パートやアルバイトの入れ替わりが激しい職種でありながら、もう何十年と同じファミレスで働き続けていたのだから。
今は姿は見えないが冗談で「今日は遅番じゃない」と話していたら夕方になったら姿を見かけた。特にこの方とは親しく話をする事は無いが何十年も通い続けていればお互いの顔は覚える。こんな近ず離れずただの客と定員の関係だ。
その後、親友とは最近の近況報告をしたり思い出話に話を咲かせた。何時間話をしても話は止まらない心地よい関係。しみじみと親友って良いなと感じる時間であった。
散々話した後に親友に車で実家まで送ってもらった。
実家に着き、インターホンを鳴らすと出て来た顔は、いつもと変わらない、いつもの笑顔の顔があった。
私の両親は体のあちこちに痛みが出て病院通いをしているが、今の所なんとか夫婦二人で生活をしている。
そして父や母とたわいもない話をして夕食をご馳走になった。メインのおかずはロールキャベツ。
私が幼い頃から食べている変わらない味。
変わらない母の味だ。
食事について最近よく感じる事がある。
どんなに高く一流の料理を食べてもお腹が満足しない。もちろん一流の食事は美味しい。間違いなく美味しい。
しかし母の味にはかなわない。何度食べても飽きることなく私のお腹と心を満たしてくれる。
夕食は、なかなか来れない母の味を堪能した。
そして思う。両親が元気な内は何度でも足を運び顔を見に行こう。会いに行かなくてはならないと思った。
私が帰る時に母は、私の姿が道路から見えなくなるまで手を振っていた。両親は有り難いなと更に実感した。
今日という日は、あっと言う間に過ぎて行った。
改めて親友と両親に感謝する良い一日になった。
運命とは決められたことなのか
運命
運命ってなんだろう
運命とは
最近、運命について考えさせられる出来事があった。
その出来事をきっかけに、自分に起きた今までの事やニュースや社会で起きている様々な出来事にも関心を寄せる様になった。と言うより昔から関心をはあったが避けてきたのかもしれない。
今の世の中や社会では日々様々な出来事が起こっている。世界でも日本でも都や県、市や区町村、個人単位にすれば計り知れない。
自分が子供の頃は、生きることや社会の仕組み、人間関係、環境の変化など考えもしなかった。
気にもしなかった。いな知らなかった。
大人になるにつれて社会の厳しさを知り。
世の中には色々な人がいて色々な考え方があり、色々な家庭環境があり、色々な性格の人達が集まって世の中は動いている社会は成り立っていることを知る。体験をして実感する。
社会は厳しく自分が思い描いていた事とはかけ離れた環境の中で生活する事も少なくない。
なぜこんな事が起こるのかと目を覆いたくなる様な出来事や理不尽な環境に追い込まれる事もある。
運命とは、何だろう?
生まれながらに裕福な家に生まれ、なに不自由することなく生活し、あたたかい家庭に育ち、毎日美味しいご飯を食べ、ふかふかの布団で眠り、沢山の学問を学び、正しい礼儀作法を教わる事ができる。
それとは、全く縁がない人達。
全ての環境が整っていることが必ずしも幸せかどうかは別なのもんだいだが。
この違いは何だろう。なぜこれ程の差がうまれてしまうのだろうか?
考えても考えても答えが見つからない。見つけられない。
自分は、どうすれば良いのか?
何もしなくて良いのか?
いや違う。絶対に違う。
自分が、どんな環境で育っても、その環境を変える事は出きるのだ。
いま自分に与えられた環境を変えるのは、誰でもない。自分なんだ。
あなた自身なんだ。
自分で自分を変えるしかない。変えなければならない。変えることができるのが運命なんだ。
どんな環境であっても自分が与えられた環境に満足していては駄目だ。
運命を環境を変えることが出来る人間だからこそ、与えらた自身の課題だと信じ、自分が成長をするのだ。
あなたならきっと出来る。
私なら絶対に出来る。
必ず出来る。必ず変えることが出来る。
それが運命だから。